絶対音感がある人は楽譜が読めない?「楽譜を読む」の意味ってなに?
絶対音感を持っている方は、音楽活動において最強というイメージは強いですよね。しかし、タイトルにあるように絶対音感を持っていても楽譜が読めない?という質問をよく受けます。今回は私なりの、絶対音感がある人は楽譜が読めない?いう疑問と、楽譜を読むって?という基本的な意味を解説したいと思います。
私なりのお話しをしますね。
絶対音感とは?
絶対音感とは他の音とくらべなくても、突然きこえた音の高さが、「あの音はソ#だ」などと、分かる能力のことです。高い音から低い音まで、ピアノの鍵盤すべてが分かるレベルが絶対音感です。絶対音感では、チャイムの音や機械のモーター音のような生活音でも、音名で答えることができます。
絶対音感と相対音感の違い
絶対音感とは、基準音なしに音が分かる能力、相対音感とは、基準音をもとに音を判断する能力です。相対音感の「相対」とは、「比べる」という意味です。前音との幅を見積もって、音をあてること、音階の枠組みを利用して、音をあてること等は、相対音感です。 絶対音感と相対音感は、音の判断の仕方がまったく違います。どちらが優れているといった話ではなくどちらも音楽活動をおこなう上で、重要な能力です。
絶対音感のメリット
聞こえた音が音名で分かるので、耳できいただけの音楽を、楽器で演奏したり、楽譜に書きおこしたりすることができます。さらには耳が良いので、演奏にたいへん有利です。
なぜ絶対音感がつくの?
絶対音感がつくのはトレーニングをしたからです。残念ながら絶対音感は放っておいてはほぼつきません。(全体の1%以下)習得には適切なトレーニングを6歳半までに(4歳9ヶ月以下がベスト)行うことで身につける事ができます。
絶対音感って習得できるの?
適切にトレーニングを行うことで、絶対音感はほぼ確実に身につけることができる能力です。上記で述べたように、適応年齢までに正しいトレーニングを受けることです。
絶対音感は長い間、そのめずらしさと、身につける方法が分からないという神秘性から、注目を集めてきました。しかし、トレーニングで習得可能とは驚きですね。
絶対音感は最強なわけではない
絶対音感は素晴らしい能力ですが、それが「最強」とは限りません。音楽における能力は多様であり、絶対音感だけでは補えない側面も多くあります。
相対音感の重要性
音楽においては、音と音の関係性、つまり相対音感が非常に重要です。相対音感は、和音、メロディ、ハーモニーを理解し、即興演奏やアンサンブルでのコミュニケーションを円滑にする能力です。絶対音感があっても、相対音感が発達していないと、音楽の全体像を把握するのが難しくなることがあります。
聴き取れても、演奏、歌唱の上達は別問題
絶対音感は正確に音を理解できる素晴らしい才能ですが、演奏技術的に優れているか、音楽の創造性や表現力とは必ずしも直結しません。音楽の深みや感情を表現するには、相対音感やその他の音楽的センスが必要です。
「音当て上手」がすごいわけではない
絶対音感を持つ人は、特定の音に強く結びついているため、移調された曲に適応するのが難しいことがあります。相対音感を持つ人は、音の関係性に基づいて曲を理解するため、こうした場面での適応力が高いです。音を1音1音当てることは音楽性とは別問題だったりします。
楽譜が読めないと言われる要因とは
そもそも絶対音感が楽譜が読めないと言われる原因を考えた時、それは「わかってしまうから、読もうとしない」ということだと思います。ですから「読めない」ではなく「読むのが面倒」の方が相応しいかもしれません。
絶対音感は音楽の中で非常に有用なスキルですが、音楽において最も重要なのは、多様な音楽的能力とそのバランスです。相対音感や創造性、表現力などが組み合わさることで、真に豊かな音楽が生まれます。
「楽譜を読む」とは
楽譜を読む」ということは、音楽の演奏や理解のために、楽譜に記された記号や音符を解釈することを指します。楽譜には、音の高さ、リズム、強弱、テンポ、表現方法など、演奏に必要な情報が視覚的に記されています。楽譜を読む能力を持つことで、演奏者は作曲者の意図を正確に再現したり、アンサンブルで他の演奏者と調和したりすることができます。
読むこと、理解すること、活動すること
「楽譜を読む」ということは、単に音符や記号を視覚的に確認するだけでなく、それを深く理解し、実際に音楽として体現する(演奏する)ことを意味します。楽譜には、作曲者が込めた意図や感情、音楽の流れが記されています。それを読み取ることは、いわば「音楽の言葉」を理解することと同じです。そして、その「言葉」を自分の楽器や声を通じて「話す」ことが演奏です。
表現すること
「楽譜を読む」ということは、最終的に演奏で表現できる力に繋がります。楽譜はただの指示書ではなく、音楽の感情やエネルギー、物語を表現するための「設計図」です。演奏者はその設計図を読み解き、音を通して自分なりの解釈を加えた表現を創り出します。
楽譜からイメージすること
楽譜に記された音やリズム、表現指示を知識として解釈し、頭の中でその音楽をイメージします。どのように演奏すべきか、どんな感情を込めるべきかなどを理解します。次に、理解した内容を基に、自分の身体や楽器を使って実際に音楽を作り上げるプロセスです。この時、ただ音を出すだけでなく、ダイナミクスや表現記号に従って感情やニュアンスを加えていくことで、音楽が生き生きとしたものになります。楽譜を読むことで、音楽を「受け取る」だけでなく、自分の解釈を通じて「発信」できるようになります。
理想とする読譜とは
理想的な楽譜の読み方は、ただ音符や記号を機械的に読むのではなく、音楽の全体像を深く理解し、感情豊かに表現できるようにすることです。視覚的に楽譜を読むだけでなく、音符を頭の中で音として再生しながら理解できることが、理想的な読譜と言えるでしょう。
楽譜を読むことは、最初は複雑に思えるかもしれませんが、訓練を重ねることで次第にスムーズにできるようになります。音楽を深く理解し、より豊かな演奏ができるための大切なスキルです。
「耳コピ」に思うこと
耳コピ(楽譜を使わずに、聴いた音楽を耳で捉えて再現すること)は、音感を鍛えるための素晴らしい方法であり、特にポピュラー音楽やジャズなど即興性が重要なジャンルでは大いに役立つスキルです。ちなみに私は相対音感があり、幼い頃から耳コピができました。だからこそ弊害やデメリットがよくわかります。
言葉と一緒
音楽は言語と一緒だと思うのです。毎日、日本語を聞いていれば日本語が理解できるようになります。それは例え文法がわからなくても、文章を作って話しますよね。音楽も一緒です。耳コピは、音楽が物語を覚えるように記憶できる能力だと思います。
読譜が面倒になる
流暢に言葉が喋れれば、文法を知ろうという行為が面倒になるにと一緒で、耳コピも聴いただけで表現できる(演奏などのアウトプット)とそれをあえて視覚的に知ろうとは思いません。むしろ面倒なことです。私の意見ですが・・・
器用貧乏になっていく
絶対音感や相対音感があると器用貧乏というか、耳に頼り過ぎて読譜が面倒になりがちだったり、暗譜がたやすい単純な和声に対して退屈さを感じるという弊害も発生するのです。クラシックのような和声が単調な曲をすぐ飽きてしまい、流行りのポップスなどを弾きただる傾向も強い気がします。
1番望ましいこと
絶対音感を持ち、ピアノ(楽器)を自由自在に操り、読譜も完璧。これが1番望ましい形でしょう。しかし、演奏できると、読譜をおろそかにする、ことは十分納得がいきます。読譜の先には、演奏がある、つまり演奏したいから読譜をする、となると、その演奏ができているのならいいじゃないかとも思いますが。何が言いたいかというと、読譜をすることで、音楽分析は深まり、楽しいの範囲が広がります。
耳コピは、即興性や感覚を育てる貴重なスキルですが、楽譜の理解や音楽理論の学習と組み合わせることで、より深い音楽表現が可能になります。
まとめ
絶対音感に人が楽譜が読めない?と思われる要因をお話ししてきました。簡単にまとめてみます。
絶対音感がある人は楽譜が読めないの
絶対音感とは、何かと比べなくても聴いた音が音名としてわかる能力です。絶対音感の人は聴いて演奏ができます。(演奏能力があれば)つまり視覚的な楽譜は必要ないということになります。「楽譜が読めない」のではなく、「楽譜を読むのが面倒くさい」ということだと思っています。
「楽譜を読む」ということ
「楽譜を読む」とは視覚的にまず認識、理解し、それをイメージできる力のことを言います。イメージができたら、それを表現(演奏)に変えていく、この作業ができてこそ「楽譜を読む」ということだと思います。
「耳コピ」に思うこと
最近YouTubeなどでも流行りの「耳コピ」。素晴らしい聴覚の才能です。しかし、聴いてできてしまう(演奏)からこそ、楽譜を読むことが面倒になってしまうことは当たり前のことです。しかし、読譜できるからこそわかる、表現方法、作曲者の意図など、知っていれば演奏がもっと楽しくなるかもしれません。
もちろん絶対音感をお持ちの方でも、読譜が得意な方は大勢います。聴いて音がわかるからこそ、音へのイメージは強いかもしれません。読譜を面倒がらずに、勉強することで、最強の音楽家になることができます。